・始めに |
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日本に来て、様々なすばらしいチャンスに恵まれ、また、日本人の人々との出会いによって私の夢は一歩一歩現実の物になっていきました。
振り返ってみて私の人生は、実に面白いものであり、これまで私が経験した事を是非みなさんにお話したいと思います。 |
・生い立ち |
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私は、1969年2月1日ニューヨークから2時間ほど離れたコネチカット州のブリッジポートに生まれました。5人家族の末っ子の私は、父が軍人だったため引っ越しを繰り返し環境の変化にすぐ慣れる力を身につけました。ノースカロライナ、ハワイなどあちこちを巡りました。
私が12歳の時父は日本の沖縄に単身赴任をしていました。その時、父がお土産に買ってきてくれた古いパチンコ台(毎回ハンドルを引き多摩を打つ旧式の)は、とても興味深い物でした。
これが、の文化に出会った最初の記念すべきものです。 |
・すばらしい土地カリフォルニア |
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大学までカリフォルニアを中心に過ごしてきました。カリフォルニアは日本とほぼ同じ面積を持つ州です。私は、多くの人と出会い、出来うる限り世界中のいろいろな地域を訪れてみたいと思うようになりました。 |
・高校時代 |
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私の通っていた高校にも日本人の女の子が通っていて、私は、彼女と友達になりました。彼女の持ってくるお弁当は、日本食で、いつも他の子よりもずっと健康的でした。
ある日彼女の家に遊びに行くと玄関で靴を脱ぎ今まで見たことのないような家具や、刀などが飾ってあり、感激しました。
彼女のお母さんや、おばあさんは、第2次世界大戦中に沖縄で戦争を経験し、爆撃の中逃げ回り、やっとの事で、生き延びた、その当時の様子をかたってくれましたが、聞いていると悲しくなり、未だに苦しみが癒えていない様子が感じられました。 |
・UCLA |
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私は、カリフォルニア大学のアーヴァイン校とロス・アンジェルス校に通いました。大学には、日本人も含めたたくさんのアジア系の人々が通っていましたが、彼らは驚くほどよく勉強をしていました。図書館に行くと、アジア系の学生ばかりだったほどです。仕事も勉強も一生懸命なので、本当に驚きました。
勉強は難しく、卒業するのは簡単なことではなく、私はアーヴァイン校を2年、ロス・アンジェルス校を3年かけて卒業しました。 |
・実社会 |
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大学を卒業後、サンフランシスコに行き、そこで仕事を見つけることは、大変で最小に付いた仕事は、雑草を抜く仕事でした。あまりにも大変で、大学で勉強していられたら・・・と思いました。その後いろいろな職に就き、ライフガードや、ソフトボールのコーチを経て体育の教師になることができました。
小学校で3歳から13歳までの子供に教えていましたが規則を破ったり、暴言を投げかける生徒達で毎日がとても大変でどうしようもなくなった私は、他の仕事を探すことにしたのです。 |
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